女は汚れている
女性救命士が土俵に上がってどーたら、という話題でふと目にしたのが「女性が汚れているという考えはおかしい」というもの。
えええ!!!女性は汚れているの!?なんで!!
結論から言うと、別に汚れてません。汚れたら石鹸で洗えばいいのだ。
しかし女性は「穢れ(けがれ)」に非常に近い存在なので、これは石鹸で洗ってもダメで、禊(みそぎ)、祓(はらえ)をして清めます。
「穢れ」は主に死、血、火、など人の命を奪うものを指し、もともとは「木枯れ」から来ています。女性は出産の際に大量出血し、命を生み出す代わりに死亡することもあり、そのため命の源であるにも関わらず、血と死という穢れ(けがれ)にとても近い存在なのです。
男は生理ないしな。大量出血なんて滅多にないから穢れとは縁遠いけど、男でも大量出血するようなケガをしたら、当然「穢れている」わけですから、お浄めをしなくてはいけません。(源氏物語とか枕の草紙とか平家物語とか、平安時代の小説を読むと「穢れ」について 何となくイメージがわきやすいと思われます。)
そんなわけで、人が死ぬかもしれないような場所、戦国時代だったら戦場、現代だったらムエタイのリング、相撲の土俵も穢れとは無縁であるよう清めておかないと、そこで死者が出たり大事故が起こりえます。
何でかと言うと、「そんな非科学的なことありえん」と言っていても、いざ自分が土俵に上がる際、「さっき女の人が土俵に上ったから、死の穢れがついているのかも」と思う気持ちが事故を誘発するからです。
東南アジアの屋台で食事した時、同じものを食べても当たる人と当たらない人がいるけど、当たる人というのは「これ当たるんじゃないかなあ」と思いながら食べていると、胃腸が受け付けなくて、別に問題ない食べ物なのにお腹を下したり嘔吐したり、というのはよくある話。だから私はカンで「これヤバイ」と思ったものは食べないようにしているし、「これはイケるでしょ」と思ったものは明らかに不衛生なものでもガンガン食べてます。それで、食べ物で当たったことは一度もないもんね。
勝負は時の運。努力と実力はもちろんだけど、最後は神頼み。少しでも不安になる材料は取り除いてから勝負に臨みたいもの。女性が上った土俵でその後の勝負をするのは、ちょっとした恐怖を感じるのではないでしょうか。
たとえば、ホテルに泊まろうとして案内された部屋が「409」だったらどう思いますか。
バンコクのマンションは13階がない場合があって、その場合12階のことを12A階、13階のことを12B階と表記したりします。キリスト教じゃない日本人からしたら「意味ない。非科学的。ややこしいから やめてほしい」と思うけど、13という数字に畏怖を感じる人も多いということなんでしょう。
そして「土俵に女性」問題で「人命よりも伝統の方が大事なのか」という意見があるけど、どっちが大事という問題ではないです。一番の問題は、事故があった時にそなえて男性救命士を土俵際に配置してなかったのが悪い。そして、女性が心臓マッサージを始めるより早く、まずは観客の中から男性陣が飛び出してきて自慢の腕力で、そーっと安全な位置に動かし、その後 力強く心臓マッサージをすべき。女にまかせて、男は何やってたんでしょうか。AEDだってあったはず。なんで傍観してた男どもは責められないのかね。
「土俵は女人禁制」というのは、これから先も引き継がれていくべきだと思います。だって、受験に行く子どもに「足元が滑るよー」って言わないでしょ。病人のお見舞いに鉢植えを持って行かないでしょ。新築祝いにガスコンロを送らないでしょ。結婚祝いに櫛(くし)を送らないでしょ。←ここまで来たらむしろ恨みでもあんの?って感じだけど。
それは、人の気持ちを配慮した行為で、心からの祝福を表したり、これから大変な目に遭う人に不安を抱かせない心配りでしょ。
「男女同権」と「心配り」どちらが大切かは、意見が分かれるところだと思うけど。
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